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Lost Boi

Dec. 28, 2021

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RPGと感情についての論文の初め

この文書ではRPG圏やLARP圏の中には「ブリード」という現象はいつもありがたいことではないと述べる。「ブリード」というのはありふれた日常生活の自分の気持ちだったり体感だったりと、ゲームに参加しながらのキャラクターとしてなりきっている自分の感情、反応しかたが締め込みあったりおよぼしあったりすること。いわゆる感情(喜怒哀楽)がふすわしい文脈からでて新しい文脈にはいりこむ。いくつかの妥当な理由にこういう現象は実際には良いこと、殊更にゲームとしてもゲームの時点以外の人生としても、有用で折に助かることにしてもいつもそうではないと思われる。

世界第一の梅の芽の香りを深く嗅いだり、戦へむかっているツルツルとした鉄の龍の翼にのったり、ギリシャのマイスのへーディーズのスティックス河に浴びたりペルセポネとあそんだりする、ありふれた世界ではこれらは禁断の木の実だろう。とは言えロールプレイングゲーム際には割と手に入れやすいではないか。色々な方は「ブリート」とはゲームがおわったあとからの気持ちという解説を使う、なんですがそれよりも立派で重要な概念、事象と年々体験的に把握できた。仲間の冒険者(友達)と一緒にTRPGのテーブルで龍を倒した末に、その体験に敢えて儲けた自信を現実の「龍」(カミングアウトや故郷をでることやなかなか通じがたい言語を通して大学院に立ち向かってみること)にたいして対応できるようになった。同様に現実の困難に関わっている傷(いとこの自殺や家族から離れることやアイデンティティーとの戦闘など)、体験を基にして、没入しているストーリーを富ませられました。余りゲームが出来なかったコロナがまだのこっている今年さえも、ゲームのあいだには私のキャラクターのむすめが奪われた時に実際には涙が零れた。ブリードは強力のあることで、ストーリーについての道具としては可能性がいっぱいあるが、大したことなので尊重をこめて対応しないといけない。自分の為だけでなく他のプレイヤーの為にも。


<p><span>In this post I argue that &ldquo;bleed&rdquo; in gaming is not always to be celebrated. &ldquo;Bleed&rdquo; is the phenomenon wherein the experiences and emotions of our daily selves and the characters we play in role playing games seep into each other and influence one another. Emotion breaches one context and enters another context unchanged. There are great reasons gaming can and should be emotional, but I argue that it is appropriate and even beneficial to censure how we feel when we play&mdash;at least to some degree.</span></p>
<p><span><strong>&nbsp;</strong></span></p>
<p dir="ltr"><span>I wish I could breathe deep the blossoms of the first peach tree, ride the slick steely wings of a dragon into a clash, swim in the river Styx and frolic with Persephone&mdash;but unfortunately these fruits are forbidden to me. However, in a roleplaying game these are amongst the lowest hanging. Some describe Bleed as the feeling we get after playing a game. But to me, it is a much more important and vibrant experience. After a long series confronting dragons at the game table, the confidence that I carry away with after such a harrowing encounter at important moments allowed me to confront the dragons in my own life&mdash;coming out, leaving home, grappling with a graduate school in a language I still struggle with&mdash;and impactful moments in my personal life&mdash;the suicide of a cousin, the separtion of family, struggles with identity&mdash;have grounded and enriched the stories I play with. There was a moment this year in which I wept in real life for a daughter who would be taken from my character. Bleed is powerful. But as such it should be respected and we should take care in how it not only affects ourselves but the folks around us.</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p dir="ltr"><span>世界第一の梅の芽の香りを深く嗅いだり、戦へむかっているツルツルとした鉄の龍の翼にのったり、ギリシャのマイスのへーディーズのスティックス河に浴びたりペルセポネとあそんだりする、ありふれた世界ではこれらは禁断の木の実だろう。とは言えロールプレイングゲーム際には割と手に入れやすいではないか。色々な方は「ブリート」とはゲームがおわったあとからの気持ちという解説を使う、なんですがそれよりも立派で重要な概念、事象と年々体験的に把握できた。仲間の冒険者(友達)と一緒にTRPGのテーブルで龍を倒した末に、その体験に敢えて儲けた自信を現実の「龍」(カミングアウトや故郷をでることやなかなか通じがたい言語を通して大学院に立ち向かってみること)にたいして対応できるようになった。同様に現実の困難に関わっている傷(いとこの自殺や家族から離れることやアイデンティティーとの戦闘など)、体験を基にして、没入しているストーリーを富ませられました。余りゲームが出来なかったコロナがまだのこっている今年さえも、ゲームのあいだには私のキャラクターのむすめが奪われた時に実際には涙が零れた。ブリードは強力のあることで、ストーリーについての道具としては可能性がいっぱいあるが、大したことなので尊重をこめて対応しないといけない。自分の為だけでなく他のプレイヤーの為にも。</span></p>

Corrections

この文書ではRPG圏やLARP圏の中には「ブリード」という現象はいつもありがたいことではないと述べる。

好まれる/好まれない

「ブリード」というのはありふれた日常生活の自分の気持ちだったり体感だったりと、ゲームに参加しながらのキャラクターとしてなりきっている自分の感情、反応しかたが締め込みあったりおよぼしあったりすること。

気持ち→感情 現実世界・実際の世界 〜や〜、さらにゲームのキャラクターになりきっている自分の感情   影響し合あったり、混同してしまったりすることだ。

いわゆる感情(喜怒哀楽)がふすわしい文脈からでて新しい文脈にはいりこむ。

ふさわしい文脈→元々の場面    いわゆる〜こと、またはその逆の現象が起こることである。

いくつかの妥当な理由にこういう現象は実際には良いこと、殊更にゲームとしてもゲームの時点以外の人生としても、有用で折に助かることにしてもいつもそうではないと思われる。

このブリードという現象は人にいい影響を与える場合もあれば、悪い影響を及ぼす場合もあると考える。ブリードがいい影響を与える場面はいくつかある。まず、次に、また、最後に

世界一の梅のの香りを深く嗅いだり、戦へむかっているツルツルとした鉄の龍の★戦いへ向かっている龍のつるつるとした翼にったり、ギリシャのマイスのへーディーズのにあるスティックス河で水を浴びたりペルセポネとあそんだりすることは、ありふれた世界ではこれらは禁断の木の実だろう。

→「〜たり、〜たり」が多すぎるので注意
→topic 〜ことは、〜だろう
→★語順注意 「戦いに向かっている龍」の「つるつるとした翼」

世界一の梅の花の香りを深く嗅ぐことや戦いへ向かっている龍のつるつるとして翼に乗ること、ギリシャにあるスティックス河で水を浴びること、ペルセポネと遊んだりすることは、ありふれた世界では禁断の果実だろう。

とは言えだが、これらはロールプレイングゲーム際には割と手に入れやすいではないか。の中では割と簡単に経験できる。¶

You mean you can experience those in the role playing game relatively easy?

色々な方は多くの人が「ブリート」とはゲームがわったあとからの気持ちという解説を使う、なんですがそれよりも立派で重要な概念、事象と年々体験的に把握できた後に感じるものだと説明するが、私は長年の経験から、「ブリーと」はそれ以上のものだと考える

→立派で重要な概念 
*立派な概念とは言わない 
*「重要な概念」と言ってしまうと、「ゲームが終わった後に感じる」という概念が重要ではないように聞こえてしまう。
*「それ以上」というと、もっと他の意味があるという意味になる。しかし、その後に、さらにどのような意味があるのか、説明が必要。

仲間の冒険者(友達)と一緒にTRPGのテーブルで龍を倒した末に、その体験に敢えて儲けた自信を私はTRPGで仲間と一緒にやっとの思いで龍を倒すという経験をしたことで自信がついて、現実の「龍」(カミングアウトや故郷をでることやなかなか通じがた母語ではない言語を通し使って大学院に立ち向かってみること)にたいして対応できるようになっで勉強すること)に立ち向かうことができた。

TRPGはなんの略ですか。テーブルトップRPGですか。

同様に現実の困難に関わっている傷(いとこの自殺や家族から離れることやアイデンティティーとの戦闘など)、体験を基にして、没入しているストーリーを富ませられました。

逆に、実際に体験した困難(いとこの自殺や家族と離れて暮らすこと、アイデンティティークライシスなど)をもとに、プレーしているゲームのストーリーを膨らませることができた。

余りゲームが出来なかったコロナがまだのこっている今年さえも、ゲームのあいだには私今年はコロナの影響であまり集まってゲームをすることができなかったが、集まってゲームをした際に、自分のキャラクターのむすめが奪娘がさらわれた時に実際に涙がれた。

溢(あふ)れた
「〜さえも〜」の文法の使い方が間違っています。
※nounでさえも

コロナの影響であまり集まってゲームをすることができなかった今年でさえも、多くの「ブリート」を経験することができた。例えば、ゲームのキャラクターに感情移入をして、自分のキャラクターの娘がさらわれた時に、涙が溢れた。

ブリードは強力のあることで、ストーリーについての道具としては可能性がいっぱいあるが、大したことなので尊重をこめて対応しないといけない。

この部分はちょっとわからないので、フィードバックが難しいです。。。

RPGと感情についての論文の初め


この文書ではRPG圏やLARP圏の中には「ブリード」という現象はいつもありがたいことではないと述べる。


この文書ではRPG圏やLARP圏の中には「ブリード」という現象はいつもありがたいことではないと述べる。

好まれる/好まれない

「ブリード」というのはありふれた日常生活の自分の気持ちだったり体感だったりと、ゲームに参加しながらのキャラクターとしてなりきっている自分の感情、反応しかたが締め込みあったりおよぼしあったりすること。


「ブリード」というのはありふれた日常生活の自分の気持ちだったり体感だったりと、ゲームに参加しながらのキャラクターとしてなりきっている自分の感情、反応しかたが締め込みあったりおよぼしあったりすること。

気持ち→感情 現実世界・実際の世界 〜や〜、さらにゲームのキャラクターになりきっている自分の感情   影響し合あったり、混同してしまったりすることだ。

いわゆる感情(喜怒哀楽)がふすわしい文脈からでて新しい文脈にはいりこむ。


いわゆる感情(喜怒哀楽)がふすわしい文脈からでて新しい文脈にはいりこむ。

ふさわしい文脈→元々の場面    いわゆる〜こと、またはその逆の現象が起こることである。

いくつかの妥当な理由にこういう現象は実際には良いこと、殊更にゲームとしてもゲームの時点以外の人生としても、有用で折に助かることにしてもいつもそうではないと思われる。


いくつかの妥当な理由にこういう現象は実際には良いこと、殊更にゲームとしてもゲームの時点以外の人生としても、有用で折に助かることにしてもいつもそうではないと思われる。

このブリードという現象は人にいい影響を与える場合もあれば、悪い影響を及ぼす場合もあると考える。ブリードがいい影響を与える場面はいくつかある。まず、次に、また、最後に

世界第一の梅の芽の香りを深く嗅いだり、戦へむかっているツルツルとした鉄の龍の翼にのったり、ギリシャのマイスのへーディーズのスティックス河に浴びたりペルセポネとあそんだりする、ありふれた世界ではこれらは禁断の木の実だろう。


世界一の梅のの香りを深く嗅いだり、戦へむかっているツルツルとした鉄の龍の★戦いへ向かっている龍のつるつるとした翼にったり、ギリシャのマイスのへーディーズのにあるスティックス河で水を浴びたりペルセポネとあそんだりすることは、ありふれた世界ではこれらは禁断の木の実だろう。

→「〜たり、〜たり」が多すぎるので注意 →topic 〜ことは、〜だろう →★語順注意 「戦いに向かっている龍」の「つるつるとした翼」 世界一の梅の花の香りを深く嗅ぐことや戦いへ向かっている龍のつるつるとして翼に乗ること、ギリシャにあるスティックス河で水を浴びること、ペルセポネと遊んだりすることは、ありふれた世界では禁断の果実だろう。

とは言えロールプレイングゲーム際には割と手に入れやすいではないか。


とは言えだが、これらはロールプレイングゲーム際には割と手に入れやすいではないか。の中では割と簡単に経験できる。¶

You mean you can experience those in the role playing game relatively easy?

色々な方は「ブリート」とはゲームがおわったあとからの気持ちという解説を使う、なんですがそれよりも立派で重要な概念、事象と年々体験的に把握できた。


色々な方は多くの人が「ブリート」とはゲームがわったあとからの気持ちという解説を使う、なんですがそれよりも立派で重要な概念、事象と年々体験的に把握できた後に感じるものだと説明するが、私は長年の経験から、「ブリーと」はそれ以上のものだと考える

→立派で重要な概念  *立派な概念とは言わない  *「重要な概念」と言ってしまうと、「ゲームが終わった後に感じる」という概念が重要ではないように聞こえてしまう。 *「それ以上」というと、もっと他の意味があるという意味になる。しかし、その後に、さらにどのような意味があるのか、説明が必要。

仲間の冒険者(友達)と一緒にTRPGのテーブルで龍を倒した末に、その体験に敢えて儲けた自信を現実の「龍」(カミングアウトや故郷をでることやなかなか通じがたい言語を通して大学院に立ち向かってみること)にたいして対応できるようになった。


仲間の冒険者(友達)と一緒にTRPGのテーブルで龍を倒した末に、その体験に敢えて儲けた自信を私はTRPGで仲間と一緒にやっとの思いで龍を倒すという経験をしたことで自信がついて、現実の「龍」(カミングアウトや故郷をでることやなかなか通じがた母語ではない言語を通し使って大学院に立ち向かってみること)にたいして対応できるようになっで勉強すること)に立ち向かうことができた。

TRPGはなんの略ですか。テーブルトップRPGですか。

同様に現実の困難に関わっている傷(いとこの自殺や家族から離れることやアイデンティティーとの戦闘など)、体験を基にして、没入しているストーリーを富ませられました。


同様に現実の困難に関わっている傷(いとこの自殺や家族から離れることやアイデンティティーとの戦闘など)、体験を基にして、没入しているストーリーを富ませられました。

逆に、実際に体験した困難(いとこの自殺や家族と離れて暮らすこと、アイデンティティークライシスなど)をもとに、プレーしているゲームのストーリーを膨らませることができた。

余りゲームが出来なかったコロナがまだのこっている今年さえも、ゲームのあいだには私のキャラクターのむすめが奪われた時に実際には涙が零れた。


余りゲームが出来なかったコロナがまだのこっている今年さえも、ゲームのあいだには私今年はコロナの影響であまり集まってゲームをすることができなかったが、集まってゲームをした際に、自分のキャラクターのむすめが奪娘がさらわれた時に実際に涙がれた。

溢(あふ)れた 「〜さえも〜」の文法の使い方が間違っています。 ※nounでさえも コロナの影響であまり集まってゲームをすることができなかった今年でさえも、多くの「ブリート」を経験することができた。例えば、ゲームのキャラクターに感情移入をして、自分のキャラクターの娘がさらわれた時に、涙が溢れた。

ブリードは強力のあることで、ストーリーについての道具としては可能性がいっぱいあるが、大したことなので尊重をこめて対応しないといけない。


ブリードは強力のあることで、ストーリーについての道具としては可能性がいっぱいあるが、大したことなので尊重をこめて対応しないといけない。

この部分はちょっとわからないので、フィードバックが難しいです。。。

自分の為だけでなく他のプレイヤーの為にも。


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