July 31, 2025
        小学校の頃、友人は「天才」とまで呼ばれるほど絵が上手でした。
ごっこ遊びをしていた時はとても楽しいものでした。なぜなら、想像に存在するキャラクターや景色を紙に表現してくれたからです。もちろん、私も絵を描くことに加わりました。
でも、大きくなるにつれて、絵を描くことは少しずつ楽しくなくなっていきました。悔しかったとか、羨ましかったとかいう気持ちはありませんでした。ただ、「これは自分には合っていない」と思うようになりました。
現在彼女はプロのアーティストとして活躍しています。
最近彼女に少し驚かされました。彼女は「ある時、君は私より絵が上手でしたよ」と言いました。
それは本当だとは思いません。私はただ、彼女ほど上手ではないと分かっていたからこそ、仕上がりを気にせずに描けていたのだと思います。自分が上手いと分かっていて、仕上がりを気にしていた彼女から見ると、私はもっと自由に描いているように見えたのかもしれません。
時々思います。もし彼女がいなかったら、私は絵を練習し続けていたのだろうか?
そうだったと思います。でも、プロになるほど絵を楽しんでいたわけではなかったので、いつかきっとやめてしまったでしょう。特に後悔のような気持ちはありません。
      
When I was in elementary school, my friend was so good at drawing that people even called her a “genius.”
Playing pretend with her was always so much fun, because she would bring the characters and scenery from our imagination to life on paper. Of course, I joined in the drawing too.
But as I got older, drawing gradually became less enjoyable for me. It wasn’t that I felt frustrated or jealous. I just started to think, “This isn’t really for me.”
Today, she works as a professional artist.
Recently, she surprised me a little. She said, “At one point, you were better at drawing than I was.”
I don’t think that’s true. I think the only reason I seemed better was that, knowing I wasn’t as good as her, I could draw without worrying about the result. From her perspective—knowing she was good and feeling pressure about the outcome—it must have looked like I drew more freely.
Sometimes I wonder, if she hadn’t been there, would I have kept practicing drawing?
I think I would have. But since I never enjoyed drawing enough to become a professional, I’m sure I would have eventually given up. I don’t really feel any regret about it.
逸材の友達と育つ
小学校の頃、友人は「天才」とまで呼ばれるほど絵が上手でした。
      
        なぜなら、想像に存在する空想上のキャラクターや景色を紙に表現してくれたからです。
      
    
      
        でもそして、大きくなるにつれて、絵を描くことはが少しずつ楽しくなくなっていきました。
      
    
悔しかったとか、羨ましかったとかいう気持ちはありませんでした。
ただ、「これは自分には合っていない」と思うようになりました。
現在彼女はプロのアーティストとして活躍しています。
最近彼女に少し驚かされました。
      
        彼女は「ある時、君あなたは私より絵が上手でしたよ」と言いました。
      
    
女性はあまり「君は」は使わない。
それは本当だとは思いません。
私はただ、彼女ほど上手ではないと分かっていたからこそ、仕上がりを気にせずに描けていたのだと思います。
      
        自分が上手いと分かっていて、仕上がりを気にしていた彼女から見ると、私はもっとより自由に描いているように見えたのかもしれません。
      
    
「もっと」>>ここでは不自然に聞こえる。
時々思います。
もし彼女がいなかったら、私は絵を練習し続けていたのだろうか?
そうだったと思います。
でも、プロになるほど絵を楽しんでいたわけではなかったので、いつかきっとやめてしまったでしょう。
特に後悔のような気持ちはありません。
逸材の友達と育つ
小学校の頃、友人は「天才」とまで呼ばれるほど絵が上手でした。
ごっこ遊びをしていた時はとても楽しいものでした。
      
        なぜなら、想像にで存在する(or  想像上の)キャラクターや景色を紙に表現してくれたからです。
      
    
もちろん、私も絵を描くことに加わりました。
でも、大きくなるにつれて、絵を描くことは少しずつ楽しくなくなっていきました。
悔しかったとか、羨ましかったとかいう気持ちはありませんでした。
ただ、「これは自分には合っていない」と思うようになりました。
現在彼女はプロのアーティストとして活躍しています。
最近彼女に少し驚かされました。
      
        彼女は「ある時、君(or  あなた)は私より絵が上手でしたよだったわ」と言いました。
      
    
女性語を使ってみました。
それは本当だとは思いません。
私はただ、彼女ほど上手ではないと分かっていたからこそ、仕上がりを気にせずに描けていたのだと思います。
自分が上手いと分かっていて、仕上がりを気にしていた彼女から見ると、私はもっと自由に描いているように見えたのかもしれません。
時々思います。
もし彼女がいなかったら、私は絵を練習し続けていたのだろうか?
そうだったと思います。
でも、プロになるほど絵を楽しんでいたわけではなかったので、いつかきっとやめてしまったでしょう。
特に後悔のような気持ちはありません。
      
        彼女は「ある時、君は君のほうが私より絵が上手でしな頃もあったよ」と言いました。
      
    
友だちの発言なので「あったよ」とカジュアルにしたほうが自然です。
そうだったかもしれないと思います。
直さなくてもいいんですが、「そうだったと思います。」という表現はかなり自信が強いように聞こえるので、~かもしれないと思います、という表現でもいいです。
Feedback
友だちから受ける影響は大きいですよね。特に子どものころ。
| 
           最近彼女に少し驚かされました。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           彼女は「ある時、君は私より絵が上手でしたよ」と言いました。 彼女は「 友だちの発言なので「あったよ」とカジュアルにしたほうが自然です。 彼女は「ある時、君(or  あなた)は私より絵が上手 女性語を使ってみました。 彼女は「ある時、 女性はあまり「君は」は使わない。  | 
      
| 
           それは本当だとは思いません。 それ This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           私はただ、彼女ほど上手ではないと分かっていたからこそ、仕上がりを気にせずに描けていたのだと思います。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           自分が上手いと分かっていて、仕上がりを気にしていた彼女から見ると、私はもっと自由に描いているように見えたのかもしれません。 This sentence has been marked as perfect! 自分が上手いと分かっていて、仕上がりを気にしていた彼女から見ると、私は 「もっと」>>ここでは不自然に聞こえる。  | 
      
| 
           時々思います。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           もし彼女がいなかったら、私は絵を練習し続けていたのだろうか? This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           そうだったと思います。 そうだったかもしれないと思います。 直さなくてもいいんですが、「そうだったと思います。」という表現はかなり自信が強いように聞こえるので、~かもしれないと思います、という表現でもいいです。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           逸材の友達と育つ This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           小学校の頃、友人は「天才」とまで呼ばれるほど絵が上手でした。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           ごっこ遊びをしていた時はとても楽しいものでした。 This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           なぜなら、想像に存在するキャラクターや景色を紙に表現してくれたからです。 なぜなら、想像 なぜなら  | 
      
| 
           もちろん、私も絵を描くことに加わりました。 This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           でも、大きくなるにつれて、絵を描くことは少しずつ楽しくなくなっていきました。 This sentence has been marked as perfect! 
  | 
      
| 
           悔しかったとか、羨ましかったとかいう気持ちはありませんでした。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           ただ、「これは自分には合っていない」と思うようになりました。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           現在彼女はプロのアーティストとして活躍しています。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           でも、プロになるほど絵を楽しんでいたわけではなかったので、いつかきっとやめてしまったでしょう。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
| 
           特に後悔のような気持ちはありません。 This sentence has been marked as perfect! This sentence has been marked as perfect!  | 
      
You need LangCorrect Premium to access this feature.
Go Premium