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ghelgheli

Dec. 20, 2025

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講師の体験

僕は言語を教えたことがないけれど、大学院生の頃長い間大学で教師をしました。大学院生として、一つの責任は授業で生徒さんたちに科目を教える事でした。僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして、色々な課程を教えました。倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教えました。言語の課程じゃなかったけど、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。特に論理に、言語のようにルールが多くあって、ルールを覚えて文を作ることなので、僕は言語を教えたら同じような体験になるかもしれません。

前の教える体験と言えば、いい点も悪いてんもありました。僕は意見を説明したり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだから、楽しんでいた時がけっこうありました。でも、時々いやらしい生徒、または悔しくさせる生徒がいました。その時は我慢してできるだけ授業を進める事しかできなくて、後で非常に疲れました。それにしても、教師をするのは全体的にいい体験だったから、言語を教えたら多分楽しむと思います。

Corrections

講師の

「体験」は、一回きりの、比較的短い出来事に使う表現です。対して、「経験」は、一定期間、継続して何かを行う場合に使います。長期間、大学で教師をしたということですので、「経験」の方が、あなたの文脈にはふさわしいのではないかと思います。

僕は言語を教えたことがないけれど、大学院生の頃長い間大学で教師をしました。

大学院生として、一つの責任はの職務の一つは、授業で生徒さんたちに科目を教える事でした。

僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして担当しましたし、色々な課程を教えました。

倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教を超えました。

言語の課程じゃなかったけどではありませんでしたが、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。

特に論理に、言語のようにルールが多くあって、まずルールを覚えてから文を作ることなので、僕言語を教えることになったら同じような体験になるかもしれません。

哲学の論理は、ルールを覚えた上でテキストを作っていくのですね!

前の教える体験と言えば、いい点も悪いてんもありました。

僕は意見を説明したり(or 意見を述べたり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだから、楽しんでいた時がけっこうありました。

でも、時々いやらしい生徒、または悔しくさせ(or 意地の悪い、不快な、疎ましい、挑発的な)生徒や、悔しい思いをさせられる生徒がいました。

「悔しくさせる生徒」が分かりにくいので、以下ように書き換えたら、より分かりやすくなります。
→「でも、時々、生徒から意地の悪いことをされたり、悔しい(or 屈辱的な)思いをさせられたりしました。」

その時は我慢してできるだけ授業を進める事しかできなくて、後で非常に疲れました。

いずれにしても、教師をするのは全体的にいい体験だったから、言語を教えたら多分楽しめるのではないかと思います。

Feedback

「教えるというは、教えられることでもある」と聞いたことがあります。とても意義深い行為ですね。ただ、生徒の皆が必ずしも授業に意欲的でない場合には、大変でしょうね。。。

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ghelgheli

Dec. 22, 2025

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詳しく訂正してくれてありがとうございます!確かにそうですね。僕はよく生徒に教えられているような気がしてよかったです。大変な時も、結局よくなりました。

講師の

体験というより、経験と書いた方が良いと思います。体験とは、やったことがあること、という意味ですが、長い間大学で教えたという場合には経験がある、と言います。

僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして、色々な課程(内容)を教えました。

僕は哲学を専攻していたので、哲学に関する内容をいろいろと教えました。

もし、私がこの内容を自分の言葉で書くとしたら、このように書くと思います。日本語だけで説明をしてわかりますか?If I write the same frase in Japanese, I would write this way.

倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教えました。

言語の課程じゃではなかったけど、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。

特に論理に関しては、言語のようにルールが多くあって、ルールります。¶
言語を学ぶということは、ルール(文法)
を覚えて文を作ることなので、僕言語を教えたら同じような体験になるかもしれません。

最初の方がよくわかりませんでした。哲学には言語のようにルールがたくさんあるということなのでしょうか。
I didn't understand what the first part means. Philosophy has many rules as languages?

教え体験と言えばには、いい点も悪いてんもありました。

僕は意見を説明したり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだからなので、楽しんでいた時がけっこうありました。

でも、時々いやらしい嫌味な生徒、または悔しくさせる生徒がいました。

悔しくさせる生徒、という言い方は間違いではありません。ただ、「気分を悪くさせるような生徒」という言い方もあります。

その時は我慢してできるだけ授業を進める事しかできなくてかったので、後で非常に疲れました。

それにしても、教師をするしたのは全体的にいい体験だったからので、言語を教えることになったら多分楽しんでやれると思います。

Feedback

Your Japanese is very good. I corrected your sentences in the strict way, because you went to the graduate school and studied philosophy, so I suppose that you normally write very logical and elegant sentences in English. That's why I corrected your Japanese in the strict way.

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Elino

Dec. 20, 2025

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日本語の勉強、頑張ってください。応援しています。

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ghelgheli

Dec. 22, 2025

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ありがとうございます!まだまだですが、こんなに詳しく訂正してくれましたので、よく勉強できるようになります。

Regarding the part about philosophy and language: I was trying to express that logic (the subject, as a particular part of philosophy) is a lot like language, because when you study logic, you have to memorize rules (called axioms) and then use those rules to build "sentences" in the language of the logical system. 日本語ではっきり伝えなかったそうでしょうね!特に複雑な概念を表したい時、迷っちゃいます。頑張り続けます。

講師の体験


講師の

体験というより、経験と書いた方が良いと思います。体験とは、やったことがあること、という意味ですが、長い間大学で教えたという場合には経験がある、と言います。

講師の

「体験」は、一回きりの、比較的短い出来事に使う表現です。対して、「経験」は、一定期間、継続して何かを行う場合に使います。長期間、大学で教師をしたということですので、「経験」の方が、あなたの文脈にはふさわしいのではないかと思います。

僕は言語を教えたことがないけれど、大学院生の頃長い間大学で教師をしました。


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大学院生として、一つの責任は授業で生徒さんたちに科目を教える事でした。


大学院生として、一つの責任はの職務の一つは、授業で生徒さんたちに科目を教える事でした。

僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして、色々な課程を教えました。


僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして、色々な課程(内容)を教えました。

僕は哲学を専攻していたので、哲学に関する内容をいろいろと教えました。 もし、私がこの内容を自分の言葉で書くとしたら、このように書くと思います。日本語だけで説明をしてわかりますか?If I write the same frase in Japanese, I would write this way.

僕は哲学を勉強していましたから、哲学の授業も教師をして担当しましたし、色々な課程を教えました。

倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教えました。


倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教えました。

倫理学とか心の哲学とか、課程は全部二十以上教を超えました。

言語の課程じゃなかったけど、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。


言語の課程じゃではなかったけど、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。

言語の課程じゃなかったけどではありませんでしたが、多分言語を教える方法にちょっと似ていたと思います。

特に論理に、言語のようにルールが多くあって、ルールを覚えて文を作ることなので、僕は言語を教えたら同じような体験になるかもしれません。


特に論理に関しては、言語のようにルールが多くあって、ルールります。¶
言語を学ぶということは、ルール(文法)
を覚えて文を作ることなので、僕言語を教えたら同じような体験になるかもしれません。

最初の方がよくわかりませんでした。哲学には言語のようにルールがたくさんあるということなのでしょうか。 I didn't understand what the first part means. Philosophy has many rules as languages?

特に論理に、言語のようにルールが多くあって、まずルールを覚えてから文を作ることなので、僕言語を教えることになったら同じような体験になるかもしれません。

哲学の論理は、ルールを覚えた上でテキストを作っていくのですね!

前の教える体験と言えば、いい点も悪いてんもありました。


教え体験と言えばには、いい点も悪いてんもありました。

前の教える体験と言えば、いい点も悪いてんもありました。

僕は意見を説明したり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだから、楽しんでいた時がけっこうありました。


僕は意見を説明したり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだからなので、楽しんでいた時がけっこうありました。

僕は意見を説明したり(or 意見を述べたり、生徒の質問にどうやってはっきり答えることを考えたりするのが好きだから、楽しんでいた時がけっこうありました。

でも、時々いやらしい生徒、または悔しくさせる生徒がいました。


でも、時々いやらしい嫌味な生徒、または悔しくさせる生徒がいました。

悔しくさせる生徒、という言い方は間違いではありません。ただ、「気分を悪くさせるような生徒」という言い方もあります。

でも、時々いやらしい生徒、または悔しくさせ(or 意地の悪い、不快な、疎ましい、挑発的な)生徒や、悔しい思いをさせられる生徒がいました。

「悔しくさせる生徒」が分かりにくいので、以下ように書き換えたら、より分かりやすくなります。 →「でも、時々、生徒から意地の悪いことをされたり、悔しい(or 屈辱的な)思いをさせられたりしました。」

その時は我慢してできるだけ授業を進める事しかできなくて、後で非常に疲れました。


その時は我慢してできるだけ授業を進める事しかできなくてかったので、後で非常に疲れました。

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それにしても、教師をするのは全体的にいい体験だったから、言語を教えたら多分楽しむと思います。


それにしても、教師をするしたのは全体的にいい体験だったからので、言語を教えることになったら多分楽しんでやれると思います。

いずれにしても、教師をするのは全体的にいい体験だったから、言語を教えたら多分楽しめるのではないかと思います。

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