tanusharusland's avatar
tanusharusland

Aug. 21, 2024

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私のコーカサスの旅 (つづき)

私のコーカサスの旅が少しでも日露の歴史と結びつけてことで嬉しいです。
私たちの国々の共通の歴史に含まれる過去の出来事を記念できる場所を見つけることができました。

日露戦争で戦死したテレク・コサックの慰霊碑が建てられた場所を訪れました。その場所は私達が滞在していたナリチク(カバルダ・バルカリア共和国の首都)から45キロのところにあります。より正確に言えば、ナリチクとウラジカフカスの丁度中間に位置しているところです。

(* テレク・コサックは、1860年から1918年までテレク川の流域に存在したロシア帝国のコサック軍の一つ。 コサックの任務は、ロシア帝国の任務は境界防備とカフカス地方における治安維持であった。コサックに土地が与えられ、大規模なコサック集落が形成されました。 コサックの政治・行政の中心地はウラジカフカスに置かれた)

私が話している記念碑の外観は非常に簡単です。それは小さなオベリスクです。

特に、その記念碑は日露戦争に参加したある若いコサックに捧げられています。彼の名前はイワン・スレゾフ。彼は 1905 年に満州での戦闘で戦死しました。彼のそこの埋葬場所については何も知られていません。イワンの死を知った父親は故郷の村に記念碑を建てられました。ソ連時代 破壊者がそれを破壊しましたが、15年ほど前に修復されました。

その村に到着し、その慰霊碑がどこにあるのかさえ正確には知りませんでした。そして、それを見つけるのに少し時間がかかりました。

記念碑の近くに泉があることだけ知っていました。 その泉は最終的に記念碑を見つけるのに役立ちました。伝説によると、ここ、水源近くで親戚がコサックが出征するのを見送ったという。その場所で、コサックは馬に乗って、習慣に従って最後の一杯のウォッカを飲みました。コサックのイワン・スレゾフは家族に別れを告げる際にパパーハ( 帽子)を落としたと言われています。それは非常に悪い予兆と考えられていました。日露戦争後でイワンがパパーハを落とした場所に、父親は彼の記念碑を建てました。

泉はオベリスクから約100メートルのところにあります。 泉を「スレゾフ」と呼ばれていたと読みました。 戦死したコサックの名前の通りですね。 ちなみに、スレゾフという名字の由来は「涙」ということばからです。 おそらくそれが、誰かが泉の近くに紅葉スモモを植えた理由でしょう。紅葉スモモは、涙のように見える黄色で黄色果物がなっていますですね 。

しかし、泉が使用されておらず、かなり詰まっていることが判明しました。それでスレゾフ泉から飲めませんでした。地元の人たちが泉をきれいにしてくれることを願っています。飲むことが出来んかったが、チェリープラムを少し食べました。

2. 翌日はウラジカフカス(北オセチアの首都)へ向かいました。そこでは私が最初に訪れたかったのはWatanabe Kozuki(ゾーえさん)日本人の画家が描いた神の母のイコンがあった聖ゲオルギオスキ大聖堂です。その教会で私はろうそくに火を灯し、コサックのイワン・スレゾフの魂の安らぎを祈りました。

もちろん、私はウラジカフカスに住んでいる日本人の画家、ゾーえさんに会いたかったですが、残念ながらその日、彼女は私に会えませんでした。それでもゾーえが描いたイコンを見ることができて嬉しかったです。

ウラジカフカスの周りを少し歩き、それからナリチクに戻りました。いつかまたウラジカフカスを訪れることができたらいいなと思っています。

Corrections

私のコーカサスの旅 (つづき)

私のコーカサスの旅が少しでも日露の歴史と結びつけていていること嬉しいです。

「結びつけてことで」の部分がちょっと変かなあ。

私たちの国々の共通の歴史に含まれる過去の出来事を記念できる場所を見つけることができました。

日露戦争で戦死したテレク・コサックの慰霊碑が建てられた場所を訪れました。

その場所は私達が滞在していたナリチク(カバルダ・バルカリア共和国の首都)から45キロのところにあります。

より正確に言えば、ナリチクとウラジカフカスの丁度中間に位置しているところです。

(*テレク・コサックは、1860年から1918年までテレク川の流域に存在したロシア帝国のコサック軍の一つ。

コサックの任務はロシア帝国の任務は境界防備とカフカス地方における治安維持であった。

コサックに土地が与えられ、大規模なコサック集落が形成されました。

コサックの政治・行政の中心地はウラジカフカスに置かれた) 。¶

私が話している記念碑の外観は非常に簡単です。

それは小さなオベリスクです。

特に、その記念碑は日露戦争に参加したある若いコサックに捧げられています。

彼の名前はイワン・スレゾフ。

彼は1905年に満州での戦闘で戦死しました。

彼のそこの埋葬場所については何も知られていません。

「そこ」とは満州のことですか?

イワンの死を知った父親は故郷の村に記念碑を建てられました。

父親が建てたのなら、「建てられました」が受身なのか尊敬なのか微妙ですね。

ソ連時代破壊者がそれを破壊しましたが、15年ほど前に修復されました。

その村に到着し、その慰霊碑がどこにあるのかさえ正確には知り(or 分かり)ませんでした。

そして、それを見つけるのに少し時間がかかりました。

記念碑の近くに泉があることだけ知っていました。

その泉は最終的に記念碑を見つけるのに役立ちました。

伝説によると、ここ、水源近くで親戚がコサックが出征するのを見送ったという。

その場所で、コサックは馬に乗って、習慣に従って最後の一杯のウォッカを飲みました。

コサックのイワン・スレゾフは家族に別れを告げる際にパパーハ(帽子)を落としたと言われています。

それは非常に悪い予兆と考えられていました。

日露戦争後イワンがパパーハを落とした場所に、父親は彼の記念碑を建てました。

泉はオベリスクから約100メートルのところにあります。

「スレゾフ」と呼ばれていたと読みました。

戦死したコサックの名前の通りですね。

ちなみに、スレゾフという名字の由来は「涙」ということばからです(or 名字は「涙」ということばに由来しています)

おそらくそれが、誰かが泉の近くに紅葉スモモを植えた理由でしょう。

紅葉スモモは、涙のように見える黄色で黄色果物がなっていますでの果実がなりますね 。

しかし、泉が使用されておらず、かなり詰まっていることが判明しました。

れでのためスレゾフ泉からの泉の水を飲めませんでした。

地元の人たちが泉をきれいにしてくれることを願っています。

飲むこと出来んかっませんでしたが、チェリープラムを少し食べました。

2.翌日はウラジカフカス(北オセチアの首都)へ向かいました。

そこでは私が最初に訪れたかったのはWatanabe Kozuki(ゾーえさん)日本人の画家が描いた神の母のイコンがあった聖ゲオルギオスキ大聖堂です。

渡邊紅月(わたなべ こうづき)??

その教会で私はろうそくに火を灯し、コサックのイワン・スレゾフの魂の安らぎを祈りました。

もちろん、私はウラジカフカスに住んでいる日本人の画家、ゾーえさんに会いたかったですが、残念ながらその日、私は彼女は私に会えませんでした。

それでもゾーえが描いたイコンを見ることができて嬉しかったです。

ウラジカフカスの周りを少し歩き、それからナリチクに戻りました。

いつかまたウラジカフカスを訪れることができたらいいなと思っています。

Feedback

「イワン・スレゾフ」がなぜ知られるようになったのか、ちょっと気になりました。

tanusharusland's avatar
tanusharusland

Aug. 21, 2024

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ご添削ほんとうにありがとうございます!
そうです :画家のかんじでの名前は渡邊紅月 さんです。ありがとうございます!
イワン・スレゾフはぜんぜん知られていない兵士です。
でも私は日露戦争に関する記念碑に興味があります。他の都市に旅行するときは、必ずこの都市の記念碑に関する情報を探します。日露戦争歴史博物館の館長をしている友人がこの記念碑について教えてくれました!

wanderer's avatar
wanderer

Aug. 21, 2024

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記念碑にも注目しながらの旅行というのも興味深いですね。

tanusharusland's avatar
tanusharusland

Aug. 22, 2024

0

それは本当です!

私のコーカサスの旅 (つづき)


This sentence has been marked as perfect!

ちなみに、スレゾフという名字の由来は「涙」ということばからです。


ちなみに、スレゾフという名字の由来は「涙」ということばからです(or 名字は「涙」ということばに由来しています)

おそらくそれが、誰かが泉の近くに紅葉スモモを植えた理由でしょう。


This sentence has been marked as perfect!

紅葉スモモは、涙のように見える黄色で黄色果物がなっていますですね 。


紅葉スモモは、涙のように見える黄色で黄色果物がなっていますでの果実がなりますね 。

しかし、泉が使用されておらず、かなり詰まっていることが判明しました。


This sentence has been marked as perfect!

それでスレゾフ泉から飲めませんでした。


れでのためスレゾフ泉からの泉の水を飲めませんでした。

地元の人たちが泉をきれいにしてくれることを願っています。


This sentence has been marked as perfect!

私のコーカサスの旅が少しでも日露の歴史と結びつけてことで嬉しいです。


私のコーカサスの旅が少しでも日露の歴史と結びつけていていること嬉しいです。

「結びつけてことで」の部分がちょっと変かなあ。

私たちの国々の共通の歴史に含まれる過去の出来事を記念できる場所を見つけることができました。


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日露戦争で戦死したテレク・コサックの慰霊碑が建てられた場所を訪れました。


This sentence has been marked as perfect!

その場所は私達が滞在していたナリチク(カバルダ・バルカリア共和国の首都)から45キロのところにあります。


This sentence has been marked as perfect!

より正確に言えば、ナリチクとウラジカフカスの丁度中間に位置しているところです。


This sentence has been marked as perfect!

(*テレク・コサックは、1860年から1918年までテレク川の流域に存在したロシア帝国のコサック軍の一つ。


This sentence has been marked as perfect!

コサックの任務は、ロシア帝国の任務は境界防備とカフカス地方における治安維持であった。


コサックの任務はロシア帝国の任務は境界防備とカフカス地方における治安維持であった。

コサックに土地が与えられ、大規模なコサック集落が形成されました。


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コサックの政治・行政の中心地はウラジカフカスに置かれた) 私が話している記念碑の外観は非常に簡単です。


コサックの政治・行政の中心地はウラジカフカスに置かれた) 。¶

私が話している記念碑の外観は非常に簡単です。

それは小さなオベリスクです。


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特に、その記念碑は日露戦争に参加したある若いコサックに捧げられています。


This sentence has been marked as perfect!

彼の名前はイワン・スレゾフ。


This sentence has been marked as perfect!

彼は1905年に満州での戦闘で戦死しました。


This sentence has been marked as perfect!

彼のそこの埋葬場所については何も知られていません。


彼のそこの埋葬場所については何も知られていません。

「そこ」とは満州のことですか?

イワンの死を知った父親は故郷の村に記念碑を建てられました。


イワンの死を知った父親は故郷の村に記念碑を建てられました。

父親が建てたのなら、「建てられました」が受身なのか尊敬なのか微妙ですね。

ソ連時代破壊者がそれを破壊しましたが、15年ほど前に修復されました。


ソ連時代破壊者がそれを破壊しましたが、15年ほど前に修復されました。

その村に到着し、その慰霊碑がどこにあるのかさえ正確には知りませんでした。


その村に到着し、その慰霊碑がどこにあるのかさえ正確には知り(or 分かり)ませんでした。

そして、それを見つけるのに少し時間がかかりました。


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記念碑の近くに泉があることだけ知っていました。


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その泉は最終的に記念碑を見つけるのに役立ちました。


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伝説によると、ここ、水源近くで親戚がコサックが出征するのを見送ったという。


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その場所で、コサックは馬に乗って、習慣に従って最後の一杯のウォッカを飲みました。


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コサックのイワン・スレゾフは家族に別れを告げる際にパパーハ(帽子)を落としたと言われています。


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それは非常に悪い予兆と考えられていました。


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日露戦争後でイワンがパパーハを落とした場所に、父親は彼の記念碑を建てました。


日露戦争後イワンがパパーハを落とした場所に、父親は彼の記念碑を建てました。

泉はオベリスクから約100メートルのところにあります。


This sentence has been marked as perfect!

泉を「スレゾフ」と呼ばれていたと読みました。


「スレゾフ」と呼ばれていたと読みました。

戦死したコサックの名前の通りですね。


This sentence has been marked as perfect!

飲むことが出来んかったが、チェリープラムを少し食べました。


飲むこと出来んかっませんでしたが、チェリープラムを少し食べました。

2.翌日はウラジカフカス(北オセチアの首都)へ向かいました。


This sentence has been marked as perfect!

そこでは私が最初に訪れたかったのはWatanabeKozuki(ゾーえさん)日本人の画家が描いた神の母のイコンがあった聖ゲオルギオスキ大聖堂です。


そこでは私が最初に訪れたかったのはWatanabe Kozuki(ゾーえさん)日本人の画家が描いた神の母のイコンがあった聖ゲオルギオスキ大聖堂です。

渡邊紅月(わたなべ こうづき)??

その教会で私はろうそくに火を灯し、コサックのイワン・スレゾフの魂の安らぎを祈りました。


This sentence has been marked as perfect!

もちろん、私はウラジカフカスに住んでいる日本人の画家、ゾーえさんに会いたかったですが、残念ながらその日、彼女は私に会えませんでした。


もちろん、私はウラジカフカスに住んでいる日本人の画家、ゾーえさんに会いたかったですが、残念ながらその日、私は彼女は私に会えませんでした。

それでもゾーえが描いたイコンを見ることができて嬉しかったです。


This sentence has been marked as perfect!

ウラジカフカスの周りを少し歩き、それからナリチクに戻りました。


This sentence has been marked as perfect!

いつかまたウラジカフカスを訪れることができたらいいなと思っています。


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