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thealchemist

April 5, 2024

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毎日日記(10)

こんばんは、みんな。今回はなんか大切な話ことがある。これを書きながら、「母のいた日々」という曲を聞いている。この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ。そのゲームの中で、佐倉双葉のパラステーマ。はじめて聞いたときは、「案外に悲しい曲じゃん」と思った。文脈が分かるようになるのために、佐倉双葉のストーリーを説明する。五歳の頃、双葉ちゃんの母さんは自殺した。でも、でかい大人は双葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが窪んだ。ずっと人生には、呪いだと言われた。しかし、双葉のストーリー編の終わりぐらい、双葉のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せた。実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは愛してたんだ。こんなことが目を覚めた。どんなに気が重くなっても、誰に大事にされるなら、結局大丈夫だろう。自分で自分を助けなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ。そんなことは分かってきた。みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それは本当だったら、なんでこれは心にしみていったのか?


Good Evening, everyone. This time around, I have something important to tell you. While writing this, I'm listening to a song called 'The Days When My mother Was There.' This song comes from the game "Persona 5." In the game, it's the theme of Futaba Sakura's palace. When I first listened to it, I thought "Whoa, this is a surprisingly sad song." To give some context so that you'll understand, I'll explain Futaba Sakura's story. When Futaba was 5, her mother had committed suicide. However, since a large amount of adults had blamed Futaba for her death, Futaba became depressed. All her life, she was told she was a curse. However, around the end of Futaba's story arc, when she learnt that it wasn't her fault, she was slowly able to heal. In reality, Futaba's mother loved her till the very end. This kind of thing opened my eyes. No matter how down in the dumps you become, if you are cherished by someone, it will probably be all right in the end. If you're not able to save your self, someone out there will. That is the lesson I came to learn. People say games are a waste of time, but if that's really the case, why does this hit so close to home?

Corrections

毎日日記(10)

こんばんは、みんな。

今回はなんか大切な話ことがある。

これを書きながら、「母のいた日々」という曲を聞いている。

この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ。

そのゲームの中で、佐倉双葉のパラステーマレス」のテーマ(になっている)

はじめて聞いたときは、「案外に悲しい曲じゃん」と思った。

文脈が分かるようになるのために、佐倉双葉のストーリーを説明する。

五歳の頃、双葉ちゃんの母さんは自殺した。

でも、でかい大人は双多くの大人たちが葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが窪は落ち込んだ。

「でかい」だとbig の意味だね。 「双葉ちゃん」はもう登場しているから「は」がいいね。「双葉ちゃんが」にすると、「誰が落ち込んだの…双葉ちゃんだよ」という感じになるね。

ずっと人生には、呪いだと言われた彼女の人生で、お前は呪いだとずっと言われ続けたんだ

しかし、双葉のストーリーの終わりぐらい、双葉に、それは自分のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せとわかって、ゆっくりと(or 徐々に)癒された。

「癒す」は「癒された」って通常受身の表現にすることが多いね。

実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは最後まで(双葉ちゃんを)愛してたんだ。

こんなことが目をで俺は目覚めたんだ

ちょっと表現を変えてみた。

どんなに気が重くなっても、誰に大事にされるなら、結局大丈夫だろう。

「誰」だと特定の一人を指すけど、「誰か」は、はっきりわからない、その人とは特定できない語感だね。

自分で自分助けられなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ助けてくれるさ

そんなこと分かってきた。

うん、ここは「何がわかってきたの? →そんなこと」の関係で「そんなこと」に焦点があるから、「が」がいいね。

みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それ本当だったら、なんでこれは心にしみていったのか?

ここはなんでこうしたかというと、「それが本当だったら」の「が」は上に書いた説明と同じ。「何が本当だったら? → それ」で「それ」に焦点があるから。
「なんでこれは心に染みていったのか」の「は」は他のことは心に染みないのに、これは....と対照の意味にとれるからだ。

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頑張ってるね。

毎日日記(10)

こんばんは、みんな。

今回はなんか大切な話がある。今回はなんか大切で話したいことがある。

これを書きながら、「母のいた日々」という曲を聞いている。

この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ曲だ

そのゲームの中で、の、『佐倉双葉のパラスレス』のテーマ。

palaceとは「宮殿」のことかと思いきや、特別なテクニカルジャルゴンなのですね。

はじめて聞いたときは、「案外に悲しい曲じゃん」と思った。

文脈が分かるようになるのために、佐倉双葉のストーリーを説明する。

五歳の頃、双葉ちゃんの母さんは自殺した。

でも、でかい大人は双葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが へこんだ(凹んだ)or ひどく落ち込んだ。

くぼんだ(窪んだ)という言い方は聞いたことがありません。最近の若者言葉でしょうか?

ずっと人生には、呪いだで、「疫病神」or「不幸をもたらす者」と言われた。

しかし、双葉のストーリー編の終わりぐらい、双葉で、自分のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せがわかったので、ゆっくり立ち直っていった。

実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは双葉ちゃんを愛してたんだ。

こんなこと目を覚めた。

どんなに気が重くなってふさぎ込んでも、誰に大事にされるなら結局大丈夫だろう。

自分で自分を助けなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ助けてくれるさ

そんなこと分かってきた。

ここは絶対「が」が自然です。「そんなことは分かってきた」と書くと、「他のことはいまだにわかってないかもしれないが、そんなことについてだけはわかってきた。」といった意味になります。
そんなことがわかってきた I came to learn something like that.
そんなことはわかってきた I came to learn at least something like that.

みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それ本当だったら、なんでこれ心にしみていったのか?

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Read the sentences including が or は aloud just 100 times.
Then you will learn that it's the natural wording.
読書百篇、意おのずから通ず。

毎日日記(10)


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こんばんは、みんな。


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今回はなんか大切な話ことがある。


今回はなんか大切な話がある。今回はなんか大切で話したいことがある。

今回はなんか大切な話ことがある。

これを書きながら、「母のいた日々」という曲を聞いている。


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この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ。


この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ曲だ

この曲はペルソナ5というゲームの原因だよ。

そのゲームの中で、佐倉双葉のパラステーマ。


そのゲームの中で、の、『佐倉双葉のパラスレス』のテーマ。

palaceとは「宮殿」のことかと思いきや、特別なテクニカルジャルゴンなのですね。

そのゲームの中で、佐倉双葉のパラステーマレス」のテーマ(になっている)

はじめて聞いたときは、「案外に悲しい曲じゃん」と思った。


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文脈が分かるようになるのために、佐倉双葉のストーリーを説明する。


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文脈が分かるようになるのために、佐倉双葉のストーリーを説明する。

五歳の頃、双葉ちゃんの母さんは自殺した。


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でも、でかい大人は双葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが窪んだ。


でも、でかい大人は双葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが へこんだ(凹んだ)or ひどく落ち込んだ。

くぼんだ(窪んだ)という言い方は聞いたことがありません。最近の若者言葉でしょうか?

でも、でかい大人は双多くの大人たちが葉ちゃんを責めたから、双葉ちゃんが窪は落ち込んだ。

「でかい」だとbig の意味だね。 「双葉ちゃん」はもう登場しているから「は」がいいね。「双葉ちゃんが」にすると、「誰が落ち込んだの…双葉ちゃんだよ」という感じになるね。

ずっと人生には、呪いだと言われた。


ずっと人生には、呪いだで、「疫病神」or「不幸をもたらす者」と言われた。

ずっと人生には、呪いだと言われた彼女の人生で、お前は呪いだとずっと言われ続けたんだ

しかし、双葉のストーリー編の終わりぐらい、双葉のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せた。


しかし、双葉のストーリー編の終わりぐらい、双葉で、自分のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せがわかったので、ゆっくり立ち直っていった。

しかし、双葉のストーリーの終わりぐらい、双葉に、それは自分のせいじゃなかったのを習ったときは、ゆっくりに癒せとわかって、ゆっくりと(or 徐々に)癒された。

「癒す」は「癒された」って通常受身の表現にすることが多いね。

実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは愛してたんだ。


実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは双葉ちゃんを愛してたんだ。

実際は最後まで双葉ちゃんの母さんは最後まで(双葉ちゃんを)愛してたんだ。

こんなことが目を覚めた。


こんなこと目を覚めた。

こんなことが目をで俺は目覚めたんだ

ちょっと表現を変えてみた。

どんなに気が重くなっても、誰に大事にされるなら、結局大丈夫だろう。


どんなに気が重くなってふさぎ込んでも、誰に大事にされるなら結局大丈夫だろう。

どんなに気が重くなっても、誰に大事にされるなら、結局大丈夫だろう。

「誰」だと特定の一人を指すけど、「誰か」は、はっきりわからない、その人とは特定できない語感だね。

自分で自分を助けなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ。


自分で自分を助けなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ助けてくれるさ

自分で自分助けられなくても、世の中で誰かがきっと手伝えるよ助けてくれるさ

そんなことは分かってきた。


そんなこと分かってきた。

ここは絶対「が」が自然です。「そんなことは分かってきた」と書くと、「他のことはいまだにわかってないかもしれないが、そんなことについてだけはわかってきた。」といった意味になります。 そんなことがわかってきた I came to learn something like that. そんなことはわかってきた I came to learn at least something like that.

そんなこと分かってきた。

うん、ここは「何がわかってきたの? →そんなこと」の関係で「そんなこと」に焦点があるから、「が」がいいね。

みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それは本当だったら、なんでこれは心にしみていったのか?


みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それ本当だったら、なんでこれ心にしみていったのか?

みんなは「ゲームは時間の無駄」って言ってるけど、それ本当だったら、なんでこれは心にしみていったのか?

ここはなんでこうしたかというと、「それが本当だったら」の「が」は上に書いた説明と同じ。「何が本当だったら? → それ」で「それ」に焦点があるから。 「なんでこれは心に染みていったのか」の「は」は他のことは心に染みないのに、これは....と対照の意味にとれるからだ。

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