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ziopasta

Dec. 12, 2020

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文法の復習

父が還暦になってはじめて、私はいかに時間が早いかに気づいた。
日照り続きによる水不足に悩まされてはじめて、水は貴重品だということが分かった。

単身赴任されてはじめて、家族に訪ねてもらった。
経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦は生じた。

先生は感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。
固定したアイデアに固執すると、錯誤に陥りかねない。

名門校に通っているというだけで、自分の教育を自慢している。
家事を手伝わなかったというだけで、家を追い出された。

Corrections

父が還暦になってはじめて、私はいかに時間の流れが早いかに気づいを知った。

「時間がはやい」と言ったら、
「時間が、朝に近い。」
「時間が、目覚める時間に近い」
のようなニュアンスのことがあります。
速度ではない意味の時ですね。
時期が、最初のほうか、最後のほうか、…という感じでしょうか。

「時間の流れ」という表現を使ったら、時間の経過について話していることが分かりやすいでしょう。

「いかに○○か」という表現と相性が良いのは、「気づく」よりも「知る」や「分かる」だと思いました。

日照り続きによる水不足に悩まされてはじめて、水は貴重だということが分かった。

「品」という言葉が、「水」とはちょっと似合わない…って感じました。

単身赴任させられてはじめて、家族に訪ね会いに来てもらった。

「単身赴任されて」と言ったら、他の人が単身赴任したことになります。
「単身赴任した」または「単身赴任させられた」と言ったら、私が単身赴任したことになります。

「家族」に対して「訪ねてもらった」(訪ねる)を使ったら、私と家族との間が離れているように感じます。丁寧過ぎる表現かもしれません。
だから、「会いに来てもらった」(会いに来る)に変えました。

経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦生じた。

そこで「は」を使ったら、直前の「貿易摩擦」が強調されます。その文に続けて、「貿易摩擦」をテーマにした「貿易摩擦」についての長いお話が始まるみたいです。

「が」を使ったら、「貿易摩擦」はただ「生じた」と関係がある言葉であるだけ、と、なります。

先生感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。

「先生は」と「は」を使ったら、「惜しむ」の言葉から離れる感じになります。

👉 「先生は:{感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。}」
・・・みたい。

---

「先生が」を使ったら、「惜しむ」と『先生が」が繋がります。

👉 「{ [先生が感嘆の言葉を惜し] んだら、[学生に嫌われ] かねない。}」
・・・みたい。

だから、僕は「が」をおすすめします。

固定したひとつのアイデアに固執すると、錯誤に陥りかねない。

「固定」の「固」と、「固執」の「固」とが重なっているように見えたから、「固定する」の言葉を変えました。

名門校に通っているというだけで、自分の教育ことを自慢している。

「教育」の使い方について疑問に感じたので、別の言葉に言い換えました。
「学歴」にすることも考えましたが、「名門校に通っている」と意味が重なるかもしれない、と考えて、止めました。

Feedback

「文法の使い方」という点については、すべて正しいようですね。
これからももっと、たくさんの表現が使えるようになるといいですね!

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ziopasta

Dec. 26, 2020

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添削をありがとうございます。これからも説明してもらった表現を絶対に覚えていきます。

父が還暦になってはじめて、私はいかに時が経つのが早いかに気づいた。

日照り続きによる水不足に悩まされてはじめて、水は貴重品だということが分かった。

単身赴任されてはじめて、家族訪ねてもらった。

経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦生じた。

先生は感嘆の言葉を惜しんだらめば、学生に嫌われかねない。

固定した古いアイデアに固執すると、時代錯誤に陥りかねない。

名門校に通っているというだけで、自分の教育学歴(学力)を自慢している。

Feedback

文法について問題ありませんよ!よく書けています。

文法の復習


父が還暦になってはじめて、私はいかに時間が早いかに気づいた。


父が還暦になってはじめて、私はいかに時が経つのが早いかに気づいた。

父が還暦になってはじめて、私はいかに時間の流れが早いかに気づいを知った。

「時間がはやい」と言ったら、 「時間が、朝に近い。」 「時間が、目覚める時間に近い」 のようなニュアンスのことがあります。 速度ではない意味の時ですね。 時期が、最初のほうか、最後のほうか、…という感じでしょうか。 「時間の流れ」という表現を使ったら、時間の経過について話していることが分かりやすいでしょう。 「いかに○○か」という表現と相性が良いのは、「気づく」よりも「知る」や「分かる」だと思いました。

日照り続きによる水不足に悩まされてはじめて、水は貴重品だということが分かった。


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日照り続きによる水不足に悩まされてはじめて、水は貴重だということが分かった。

「品」という言葉が、「水」とはちょっと似合わない…って感じました。

単身赴任されてはじめて、家族に訪ねてもらった。


単身赴任されてはじめて、家族訪ねてもらった。

単身赴任させられてはじめて、家族に訪ね会いに来てもらった。

「単身赴任されて」と言ったら、他の人が単身赴任したことになります。 「単身赴任した」または「単身赴任させられた」と言ったら、私が単身赴任したことになります。 「家族」に対して「訪ねてもらった」(訪ねる)を使ったら、私と家族との間が離れているように感じます。丁寧過ぎる表現かもしれません。 だから、「会いに来てもらった」(会いに来る)に変えました。

経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦は生じた。


経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦生じた。

経済交流が開始されてはじめて、貿易摩擦生じた。

そこで「は」を使ったら、直前の「貿易摩擦」が強調されます。その文に続けて、「貿易摩擦」をテーマにした「貿易摩擦」についての長いお話が始まるみたいです。 「が」を使ったら、「貿易摩擦」はただ「生じた」と関係がある言葉であるだけ、と、なります。

先生は感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。


先生は感嘆の言葉を惜しんだらめば、学生に嫌われかねない。

先生感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。

「先生は」と「は」を使ったら、「惜しむ」の言葉から離れる感じになります。 👉 「先生は:{感嘆の言葉を惜しんだら、学生に嫌われかねない。}」 ・・・みたい。 --- 「先生が」を使ったら、「惜しむ」と『先生が」が繋がります。 👉 「{ [先生が感嘆の言葉を惜し] んだら、[学生に嫌われ] かねない。}」 ・・・みたい。 だから、僕は「が」をおすすめします。

固定したアイデアに固執すると、錯誤に陥りかねない。


固定した古いアイデアに固執すると、時代錯誤に陥りかねない。

固定したひとつのアイデアに固執すると、錯誤に陥りかねない。

「固定」の「固」と、「固執」の「固」とが重なっているように見えたから、「固定する」の言葉を変えました。

名門校に通っているというだけで、自分の教育を自慢している。


名門校に通っているというだけで、自分の教育学歴(学力)を自慢している。

名門校に通っているというだけで、自分の教育ことを自慢している。

「教育」の使い方について疑問に感じたので、別の言葉に言い換えました。 「学歴」にすることも考えましたが、「名門校に通っている」と意味が重なるかもしれない、と考えて、止めました。

家事を手伝わなかったというだけで、家を追い出された。


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