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troutfarm

June 17, 2021

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タイムトラベル

今、タイムトラベルの物語は少なくないが、昔話ではタイムトラベルの物語が殆どない。各文化の様々な神様は沢山の特別な力があっても、タイムトラベルの力はない。本当の理由が分からないが、最近のタイムトラベルのブームは多分技術の影響だ。昔の人間は誕生から死に至るまで、人生が同じだ。もし未来に旅行しても、同じならその物語は詰まらないだろう。でも、現代の技術はいつも進歩しているから、人はもちろん他の時代の技術について気になる。これで、人間の物語は技術と共に進んでいることが見える。

Corrections

現在においては、タイムトラベルの物語は少なくないが、昔話ではの話においては、タイムトラベルの物語が殆どない。

「今」にも「は」を付けた方が、「今」と「昔」との対立が分かりやすいでしょう。

「現在」の言葉の方が、「現在のものと過去のものとを比べる」という話題に似合う、分かりやすい言葉だと思います。「今」の言葉は、「今すぐ」のときにも使う言葉なので、「ちょうど今この時間」と近すぎる感触がありました。
「〜においては」の言葉を使うと、「〜については」のニュアンスを含むので、良いと考えます。(口語ではあまり使わない表現ですが、「である調」の文章にはよく似合う表現です。)

各文化の様々な神様は沢山の特別な力があってもを有しているが、タイムトラベルの力はない。

「この神様には___の力が有る」← 「には」と「が」を使っていますね。
「この神様は__という力を持っている」←「は」と「を」を使っていますね。

今回は、「は」と「を」の組み合わせが良さそうです。
「有している」は「ゆうしている」と読みます。書き言葉ですが、「神」を扱う「である調」の文には似合うと思ったので、お示しします。(「持っている」と似た使い方をします。)

「_ても、_ない」の形は、強いて使うとしたら、次のようになるでしょう。
 👉 各文化の様々な神様の力には、自然に影響を及ぼす力はあっても、タイムトラベルの力はない。
  ( [[{神様の力}の 中に ]] は、{自然に影響を及ぼす力}は あっても、{タイムトラベルの力}は ない。 )

本当の理由分からないが、最近のタイムトラベルのブームは多分技術の影響だ。

┏ 本当の理由: 分からない ( “理由” 無い)

┗ 私の “理由”: 持っている(“理由” 有る)

 ↑
「本当の理由は」のように「は」を使ったら、読者は、{「本当の理由」では無い、別の “理由” が あるかもしれない}と、想像してくれます。

昔の人間は誕生から死に至るまで人生が同じだみな似ている

「同じ」でも良いですが、私は、「同じ」は少し強すぎる、と、感じました。

「昔の人間は誕生から死に至るまで、」の区切り方は、ある一人の人間の人生について語る時にふさわしい表現です。
 例)「昔の人間は誕生から死に至るまで、おもに農業と深く関わって生きている。」

今回は、昔の人間の複数の人数を取り上げて(picked several people up) 語りたいですから、別の区切り方をしました。

私のご提案した「みな」は、今回は「人生がみな」と「みな似ている」と、どちらにも取れるように置きました。
>>> 「昔の人間は、みな似ている」 ・・・ 「昔の人間はみな 似ている」
>>> 「人生がみな似ている」 ・・・ 「人生がみな 似ている」

だから、「みな」の中に、「複数の人間」を入れる事も、「(ある)人生の始まりから終わりまで」を入れる事も、どちらをしても良い表現になっていると思います。

もし未来に旅行しても、同じ自分と似た人生ならその物語はまらないだろう。

「同じ」だけでは説明が足りない、という気がしました。

今回のような「つまらない」は、ひらがなで書くことが多いですね。

でも、現代の技術はいつも常に進歩しているから、人はもちろん々は当然、他の時代の変化した技術について気になる関心を持つ

 「いつも」を「常に」と変えたのは、単語「進歩」との相性のせいだと思います。
 「人はもちろん」の表現は、「東京の人はもちろん、大阪の人も___」のような使い方があるので、避けたほうがよいでしょう。
 「変化した」を付け加えたのは、前段の文で “同じ” について話題にしているから、それと対比させるためです。 ですから、これが無くても、(文法上も意味上も)誤りとはなりません。
 「気になる」は、主観的な表現ですから、今回の文(客観的な文/一般論を話す文)には似合わないと思います。

……………

他には、こんな↓言い方もどうでしょうか↓
 「でも、現代の技術は常に進化し続けているから、他の時代の変化した技術について、人々が関心を抱くのも当然だろう。」

れでのように、人間の物語が、技術と共に進んでいることが見て取れる。

元の文の「これで」について、「これ」が何を指しているのか、僕には正直ちょっと良く分かりませんでした。
………
文書全体を見たあとで、次のように思いました。

 この文書を締める言葉をこの位置に置く前に、現在における「物語」への言及が(少なくとも)もうひとつ有ったほうが良い、と感じました。
 例えば、次のような「物語」についての言及です。
★『結果、そういう技術に影響され、かつて無い物語が生まれることになる。』

そうやって、技術と物語について言及した後であれば、締める文として「このように、…」という文を置くことができると考えます。

◆『このように、人間の作る物語と技術の進歩とは、互いに干渉し合う存在なのだろう、と私は考えているのである。』

“私は考えているのである” の表現を使ったら、この位置・この場所で “私の「理由」” について書くことになりますね。だから、「本当の理由は分からない」という文の伏線を、ここで回収することにもなるでしょう。

Feedback

ところで、「時」を司る神は、神話では描かれていないのでしょうか…?
なかなか、興味深いテーマですね。

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troutfarm

June 18, 2021

0

確かにギリシャのクロノスのような時の神様が神話で出た。でも、時の神様でも、あまり昔の神話で時の力を使わない。もっと現在的な物語だけで、クロノスが本当にタイムトラベルのような力を使う。

直してくれてありがとうございます!

タイムトラベル


今、タイムトラベルの物語は少なくないが、昔話ではタイムトラベルの物語が殆どない。


現在においては、タイムトラベルの物語は少なくないが、昔話ではの話においては、タイムトラベルの物語が殆どない。

「今」にも「は」を付けた方が、「今」と「昔」との対立が分かりやすいでしょう。 「現在」の言葉の方が、「現在のものと過去のものとを比べる」という話題に似合う、分かりやすい言葉だと思います。「今」の言葉は、「今すぐ」のときにも使う言葉なので、「ちょうど今この時間」と近すぎる感触がありました。 「〜においては」の言葉を使うと、「〜については」のニュアンスを含むので、良いと考えます。(口語ではあまり使わない表現ですが、「である調」の文章にはよく似合う表現です。)

各文化の様々な神様は沢山の特別な力があっても、タイムトラベルの力はない。


各文化の様々な神様は沢山の特別な力があってもを有しているが、タイムトラベルの力はない。

「この神様には___の力が有る」← 「には」と「が」を使っていますね。 「この神様は__という力を持っている」←「は」と「を」を使っていますね。 今回は、「は」と「を」の組み合わせが良さそうです。 「有している」は「ゆうしている」と読みます。書き言葉ですが、「神」を扱う「である調」の文には似合うと思ったので、お示しします。(「持っている」と似た使い方をします。) 「_ても、_ない」の形は、強いて使うとしたら、次のようになるでしょう。  👉 各文化の様々な神様の力には、自然に影響を及ぼす力はあっても、タイムトラベルの力はない。   ( [[{神様の力}の 中に ]] は、{自然に影響を及ぼす力}は あっても、{タイムトラベルの力}は ない。 )

本当の理由が分からないが、最近のタイムトラベルのブームは多分技術の影響だ。


本当の理由分からないが、最近のタイムトラベルのブームは多分技術の影響だ。

┏ 本当の理由: 分からない ( “理由” 無い) 対 ┗ 私の “理由”: 持っている(“理由” 有る)  ↑ 「本当の理由は」のように「は」を使ったら、読者は、{「本当の理由」では無い、別の “理由” が あるかもしれない}と、想像してくれます。

昔の人間は誕生から死に至るまで、人生が同じだ。


昔の人間は誕生から死に至るまで人生が同じだみな似ている

「同じ」でも良いですが、私は、「同じ」は少し強すぎる、と、感じました。 「昔の人間は誕生から死に至るまで、」の区切り方は、ある一人の人間の人生について語る時にふさわしい表現です。  例)「昔の人間は誕生から死に至るまで、おもに農業と深く関わって生きている。」 今回は、昔の人間の複数の人数を取り上げて(picked several people up) 語りたいですから、別の区切り方をしました。 私のご提案した「みな」は、今回は「人生がみな」と「みな似ている」と、どちらにも取れるように置きました。 >>> 「昔の人間は、みな似ている」 ・・・ 「昔の人間はみな 似ている」 >>> 「人生がみな似ている」 ・・・ 「人生がみな 似ている」 だから、「みな」の中に、「複数の人間」を入れる事も、「(ある)人生の始まりから終わりまで」を入れる事も、どちらをしても良い表現になっていると思います。

もし未来に旅行しても、同じならその物語は詰まらないだろう。


もし未来に旅行しても、同じ自分と似た人生ならその物語はまらないだろう。

「同じ」だけでは説明が足りない、という気がしました。 今回のような「つまらない」は、ひらがなで書くことが多いですね。

でも、現代の技術はいつも進歩しているから、人はもちろん他の時代の技術について気になる。


でも、現代の技術はいつも常に進歩しているから、人はもちろん々は当然、他の時代の変化した技術について気になる関心を持つ

 「いつも」を「常に」と変えたのは、単語「進歩」との相性のせいだと思います。  「人はもちろん」の表現は、「東京の人はもちろん、大阪の人も___」のような使い方があるので、避けたほうがよいでしょう。  「変化した」を付け加えたのは、前段の文で “同じ” について話題にしているから、それと対比させるためです。 ですから、これが無くても、(文法上も意味上も)誤りとはなりません。  「気になる」は、主観的な表現ですから、今回の文(客観的な文/一般論を話す文)には似合わないと思います。 …………… 他には、こんな↓言い方もどうでしょうか↓  「でも、現代の技術は常に進化し続けているから、他の時代の変化した技術について、人々が関心を抱くのも当然だろう。」

これで、人間の物語は技術と共に進んでいることが見える。


れでのように、人間の物語が、技術と共に進んでいることが見て取れる。

元の文の「これで」について、「これ」が何を指しているのか、僕には正直ちょっと良く分かりませんでした。 ……… 文書全体を見たあとで、次のように思いました。  この文書を締める言葉をこの位置に置く前に、現在における「物語」への言及が(少なくとも)もうひとつ有ったほうが良い、と感じました。  例えば、次のような「物語」についての言及です。 ★『結果、そういう技術に影響され、かつて無い物語が生まれることになる。』 そうやって、技術と物語について言及した後であれば、締める文として「このように、…」という文を置くことができると考えます。 ◆『このように、人間の作る物語と技術の進歩とは、互いに干渉し合う存在なのだろう、と私は考えているのである。』 “私は考えているのである” の表現を使ったら、この位置・この場所で “私の「理由」” について書くことになりますね。だから、「本当の理由は分からない」という文の伏線を、ここで回収することにもなるでしょう。

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