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lulu

June 8, 2020

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スピーチの原稿を直していただけるとありがたいです

みなさん、こんにちは。 今までの人生で最もハードだったことをお話したいと思います。 皆さんは人生で最もハードだったことと聞かれたとき、どのように反応しましたか? 私はそういうことはなさそうね。 今までの人生は、いつもハードだと思いますよ。でもよく考えてみれば、建築学院での勉強が今までの人生で一番ハードだったことかもしれませんね。 ご存知の通り、私が日本語を勉強していたのではなく、建築学部から編入してきました。 なぜ結局逃げることを選んだのか? それは二年前に言われたことでした。
 先生に自分の建築設計図について教えてくれる時、私の設計はいつも批判されました。 "何を描いたの? 小学生の作品ですか?" "このデザインは誰にでもできる"“想像力がない”などと先生から批判されることが多いでした。辛いとも思いながら何度も何度も直しました。私は、よく頑張っているよ!どうしてうまくいかないの?苦しいなあと思います。
最終的な設計図を提出することになると、さらに苦しくなりました。 締め切り前はほぼ毎晩、2時に寝て7時に起きていました。 私はよく午前2時にお腹が空いて、食べ物を探しに出て行って、もちろん、この時間にルームメイトはすべて寝ていません。図を 描いているうちに涙が出てくることもありました。「疲れた、眠りたい、休みたい、遊びたい、つらい、苦しい」という言葉が頭の中で循環していた。 締め切りの前日には、私を含め多くの学生が徹夜で仕上げなければなりませんでした。 私は時々次の瞬間に死ぬのではないかと心配になることもありました。 髪の毛を大量に失い、睡眠も十分に取れず、肯定されることもなく、高圧的に勉強していた1年半を経て、私は逃げました。
 今振り返ってみると、辛いですが、収獲もたくさんありました。ハードがあるこそ簡単なことがあるから、ハードなことは相対的なものだと思います。辛い経験をしているので甘さを味わうことができます。このハードだったことを経験してから、私の抗圧能力より強になって、よりも小さな幸せを感じられます。「外国語学校の先生たちは、とっても優しいね!」と「まだ12時だから早いよ」という実感がします。それも悪くないでしょう?
未来はまた更にハードな事にぶつかるかも知れなくて、私達はこの1つ1つの困難を乗り越えて、これらの経験はいずれも人生の貴重な財産になります。

(添削しても喜ぶ!)

Corrections

皆さんは人生で何が最もハードだったことと聞かれたときると、どのように反応しましたか?

"反応しましたか?" と過去形にしてしまうと、視聴者や読者は "実際に聞かれたことがある" という前提になってしまいます。視聴者の中には、まだこの質問をされたことがない人もいるでしょうから "もし聞かれたらどうしますか?" という仮定形を使うといいです。

私はそういう最もハードだと思ったことはまだなさそうです

でもよく考えてみれば、建築学院での勉強が今までの人生で一番ハードだったことかもしれませんね。

ご存知の通り、私は最初から日本語を勉強していたのではわけでなく、建築学部から編入してでここに(or 日本語学部に)きました。

先生に自分の建築設計図について教えてくれるもらう時、私の設計はいつも批判されました。

"何を描いたの? 小学生の作品ですか?" "」 、「このデザインは誰にでもできる"“」、「想像力がないなどと先生からよく批判されることが多いでてました。

日本語で人の会話を表現するときは「」を使うのが定番です。

辛いと思いながら何度も何度も直しました。

最終的な設計図を提出すること段階になると、さらに苦しくなりました。

私はよく午前2時にお腹が空いて、食べ物を探しに出て行ってました。もちろん、この時間に眠っているルームメイトはすべて寝て一人もいません。

「疲れた、眠りたい、休みたい、遊びたい、つらい、苦しい」という言葉が頭の中で循環繰り返していた。

私は時々次の瞬間に死ぬのではないかと心配になることもありました。

髪の毛を大量に失い、睡眠も十分に取れず、肯定され認めてもらえることもなく、高圧的にプレッシャーに追われて勉強していた1年半を経て、私は逃げました。

"高圧的に" は人の態度について表現します。悪い意味で使われます。

今振り返ってみると、辛かったですが、収獲もたくさんありました。

ハードなことがあるからこそ簡単なことがあるから、ハードなことは相対的なものだと思います。

辛い経験をしているので甘さを味わうことができます。

私ならこう書きます。(ご参考までに)
「辛い経験をしているので、何が甘い生活かを知ることができます。」

このハードだったことを経験してから、私の抗圧忍耐能力より強なって、よりも小さな幸せを感じられます(今まで以上に)小さな幸せをより強く感じ取るようになりました

( )は強調表現です。省略しても大丈夫です。

「外国語学校の先生たちは、とっても優しいね!」と「まだ12時だから早いよ」というがします。

未来はまた更にハードな事にぶつかるかもれなくて、私達はこの1つ1つの困難を乗り越えて、これらの経験はいずれも人生の貴重な財産になります。

(添削しても喜ぶくれるとうれしい!)

Feedback

Very good!
読んでいて、大学生の頃に論文を書いてたことを思い出しました。辛い日々でしたね。。(泣)
仕事を始めるともっと辛い日々が待ってます。給料というお金の問題が絡んできますからね。でも辛い経験がある人とそうでない人は、忍耐能力が俄然違ってきます。いい経験をされたと思います。

辛いとも思いながら何度も何度も直しました。


辛いと思いながら何度も何度も直しました。

スピーチの原稿を直していただけるとありがたいです


みなさん、こんにちは。


今までの人生で最もハードだったことをお話したいと思います。


皆さんは人生で最もハードだったことと聞かれたとき、どのように反応しましたか?


皆さんは人生で何が最もハードだったことと聞かれたときると、どのように反応しましたか?

"反応しましたか?" と過去形にしてしまうと、視聴者や読者は "実際に聞かれたことがある" という前提になってしまいます。視聴者の中には、まだこの質問をされたことがない人もいるでしょうから "もし聞かれたらどうしますか?" という仮定形を使うといいです。

私はそういうことはなさそうね。


私はそういう最もハードだと思ったことはまだなさそうです

今までの人生は、いつもハードだと思いますよ。


でもよく考えてみれば、建築学院での勉強が今までの人生で一番ハードだったことかもしれませんね。


でもよく考えてみれば、建築学院での勉強が今までの人生で一番ハードだったことかもしれませんね。

ご存知の通り、私が日本語を勉強していたのではなく、建築学部から編入してきました。


ご存知の通り、私は最初から日本語を勉強していたのではわけでなく、建築学部から編入してでここに(or 日本語学部に)きました。

なぜ結局逃げることを選んだのか?


それは二年前に言われたことでした。


先生に自分の建築設計図について教えてくれる時、私の設計はいつも批判されました。


先生に自分の建築設計図について教えてくれるもらう時、私の設計はいつも批判されました。

"何を描いたの? 小学生の作品ですか?" "このデザインは誰にでもできる"“想像力がない”などと先生から批判されることが多いでした。


"何を描いたの? 小学生の作品ですか?" "」 、「このデザインは誰にでもできる"“」、「想像力がないなどと先生からよく批判されることが多いでてました。

日本語で人の会話を表現するときは「」を使うのが定番です。

私は、よく頑張っているよ!


どうしてうまくいかないの?


苦しいなあと思います。


最終的な設計図を提出することになると、さらに苦しくなりました。


最終的な設計図を提出すること段階になると、さらに苦しくなりました。

締め切り前はほぼ毎晩、2時に寝て7時に起きていました。


私はよく午前2時にお腹が空いて、食べ物を探しに出て行って、もちろん、この時間にルームメイトはすべて寝ていません。


私はよく午前2時にお腹が空いて、食べ物を探しに出て行ってました。もちろん、この時間に眠っているルームメイトはすべて寝て一人もいません。

図を 描いているうちに涙が出てくることもありました。


「疲れた、眠りたい、休みたい、遊びたい、つらい、苦しい」という言葉が頭の中で循環していた。


「疲れた、眠りたい、休みたい、遊びたい、つらい、苦しい」という言葉が頭の中で循環繰り返していた。

締め切りの前日には、私を含め多くの学生が徹夜で仕上げなければなりませんでした。


私は時々次の瞬間に死ぬのではないかと心配になることもありました。


私は時々次の瞬間に死ぬのではないかと心配になることもありました。

髪の毛を大量に失い、睡眠も十分に取れず、肯定されることもなく、高圧的に勉強していた1年半を経て、私は逃げました。


髪の毛を大量に失い、睡眠も十分に取れず、肯定され認めてもらえることもなく、高圧的にプレッシャーに追われて勉強していた1年半を経て、私は逃げました。

"高圧的に" は人の態度について表現します。悪い意味で使われます。

今振り返ってみると、辛いですが、収獲もたくさんありました。


今振り返ってみると、辛かったですが、収獲もたくさんありました。

ハードがあるこそ簡単なことがあるから、ハードなことは相対的なものだと思います。


ハードなことがあるからこそ簡単なことがあるから、ハードなことは相対的なものだと思います。

辛い経験をしているので甘さを味わうことができます。


辛い経験をしているので甘さを味わうことができます。

私ならこう書きます。(ご参考までに) 「辛い経験をしているので、何が甘い生活かを知ることができます。」

このハードだったことを経験してから、私の抗圧能力より強になって、よりも小さな幸せを感じられます。


このハードだったことを経験してから、私の抗圧忍耐能力より強なって、よりも小さな幸せを感じられます(今まで以上に)小さな幸せをより強く感じ取るようになりました

( )は強調表現です。省略しても大丈夫です。

「外国語学校の先生たちは、とっても優しいね!」と「まだ12時だから早いよ」という実感がします。


「外国語学校の先生たちは、とっても優しいね!」と「まだ12時だから早いよ」というがします。

それも悪くないでしょう?


未来はまた更にハードな事にぶつかるかも知れなくて、私達はこの1つ1つの困難を乗り越えて、これらの経験はいずれも人生の貴重な財産になります。


未来はまた更にハードな事にぶつかるかもれなくて、私達はこの1つ1つの困難を乗り越えて、これらの経験はいずれも人生の貴重な財産になります。

(添削しても喜ぶ!)


(添削しても喜ぶくれるとうれしい!)

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